7/18/2008

ベトナム・メモリアルで考えたこと

戦争は、勝者にとっても敗者にとっても、苦痛の積み上げであることが多い。しかも、アメリカにとってはベトナム戦争参入は、現在においてもその是非が問われる戦争の一つだろう。5万8000名以上のアメリカ人将兵がベトナムを中心とした東南アジア戦線で散ったことは、アメリカ人の心の中でも大きな傷跡になっている。特に現在でもイラクやアフガニスタンで戦闘が続けられており、毎日アメリカ人の戦死者の数がメディアで発表されるので、心痛めているアメリカ人が多いに違いない。

日本は戦争を知らない世代が大多数になっているが、アメリカは、第二次大戦後以降でも、朝鮮動乱、ベトナム戦争、第一次イラク戦争、第二次イラク戦争、そうしてアフガニスタンなどで戦闘に携わっている事例が非連続的であるが長く続いている。その間に、アメリカ経済は疲弊をし、多くのアメリカ人は強い愛国心を持ちつつも、ヒーリングを求めるような心境になっているようだ。

首都ワシントンにはベトナム・ベテランズ・ウォール・メモリアルという戦争記念碑がある。よく日本のニュースでも映像が映し出されることもあるので知っている人も多いだろう。壁面に、戦死もしくは戦闘で不明になった全てのアメリカ人将兵の名前が刻み込まれた記念碑だ。ボールダーに昨日から持ち込まれたのは、そのコピーものだが、実物の4分の3の大きさだと言うが、刻まれた名前を見ていくと人の命は、はかないものだと考えさせられてしまう。

ボールダーは、ベトナム戦争当時は、リベラルの牙城として、多くの知識人が反戦を唱えたりしたところのようだ。そうして、反体制派の人々が集積するようになった時でもある。ヒッピーの流入が多くなったのもその頃で、西のバークレー、ロッキーのボールダーのような状況だったらしい。その当時の反体制派の人々の中に、軍産学協同に共鳴できずに、より地球的な精神規模でものごとを見ていこうとする人がここに寄り集まってきた。その中で、現在の多くのナチュラル産業の大物が出ているのは何か歴史の因縁とは言え、不可思議な感じがする。

ベトナムから撤退させられるような戦争で、痛手を受けたアメリカは全ての戦死者の名前を壁に刻み込み追悼し、弔いとした。5万人以上の若者が散ったレプリカの壁の前で、ボールダーの現在の繁栄を感じつつ、黙祷を捧げた。

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